インフォメーション
2018-05-13 17:14:00
GW後も5月開運鑑定を予約受付中!
ゴールデンウィークも終わり、5月中旬から下旬に向けての時期です。
福岡占いの館「宝琉館」ではGW後も鑑定予約を受け付けています。
福岡に訪れる機会のある人はご来館下さい。
とくに天神店は休日はなく、毎日、鑑定を午前11時~午後7時の時間帯、行っています。
六本松本館は予約優先で、電話やメールでの予約依頼で調整して日時を決めていきます。
ラッキーならば、すぐに鑑定を受けることができる場合もあります。
5月の新緑、薫風が心地良く吹く季節になりました。
新しい環境に少しずつ慣れ始めつつ、戸惑いも多く、魂の充実を探していく時期です。
進学、就職そして転職してジワジワと緊張がほぐれ始める時期です。
若い人だけでなく、中年期に転職する人にとっては、自分の人生の大きな転機ですね。
立夏を過ぎ、薫風がさわやかに吹く季節の到来です。本格的にスタートを切る上で「緊張と弛緩(しかん)、張りと緩みが不規則に訪れる助走期間の運勢」と言えるでしょう。
日本人にとっては新たな1年を過ごす上で指針となる何らかのライフコンパスを求めるものです。
これから、大いなる一歩を踏み出して人生の大海原を航海する羅針盤が必要な人もいるでしょう。
進学、就職そして転職してジワジワと緊張がほぐれ始める時期です。
若い人だけでなく、中年期に転職する人にとっては、自分の人生の大きな転機ですね。
ゴールデンウィーク前後は本格的にスタートを切る上で「緊張と弛緩(しかん)、張りと緩みが不規則に訪れる助走期間の運勢」と言えるでしょう。
日本人にとっては新たな1年を過ごす上で指針となる何らかのライフコンパスを求めるものです。
情報が氾濫し、スマホが主流になりつつある中で、人のこころは洪水のように押し寄せる情報に右往左往され、心の根っこが揺れ動く「心の迷走」に悩む人が増えています。
時の流れの視点から見て、どこから心や体が満足感を得られる幸福感の充実した生活を得られるか。
自ら主体的に充実した日々を過ごすことができるマインドフルネス(心の充足感に満ちる)な生き方ができるか。
これが、しっかりゲットできるかどうかが、実占鑑定での開運のポイントとなります。
きょうは母の日。
母親への感謝の想いを伝える日です。
本ブログを熱心に見ている読者の方々は多いということを鑑定時に知る機会がかなり増えています。
「読者登録していつも見ています」
「ホームページを読んで問い合わせています」
「グーグルで『福岡』『占い』で検索して来ました」
などなど、多種多様。
たしかにブログだけでも5つほどあり、ホームページも公式、非公式を合わせれば4つあります。
そして、その年の真に新しい生徒との出会いや熱心に通うお客様との出会いが多くなるのが二十四節気の立夏(りっか)や小満(しょうまん)あたりからです。
今年の立夏は5月5日。
そして小満は5月21日。
鑑定する側にとって、ちょうど、今の時期に出会う人は新鮮な気持ちになります。
今の時期の俳句の季語は「雨蛙(あまがえる)」。
鮮やかな緑が光沢を帯び、ゲロゲロと鳴いて、小雨が降る新緑に吸盤をしっかりつけながらゆっくり動く。
ときには自分の体の2倍、3倍の距離を飛んでいく。
人の運勢の大きな跳躍も、雨蛙のジャンプのようなものかもしれません。
気象庁の調査では、今春の桜(ソメイヨシノ)の満開日が、全国14府県の観測点で統計開始以来最も早くなったそうです。
南からの暖かい空気の影響で、3月は記録的高温となり、福島、水戸、前橋、銚子(千葉県)、名古屋、京都の6市は過去最も早い記録に並びました。
地球温暖化の影響なのか、桜の開花日は1953年以降、10年当たり1日のペースで早まっているそうです。これも、太陽の動きから読み解く人の「運勢の天気予報図」にも影響を及ぼしそうですね。
福岡も桜が咲くのが、例年よりも早く、今年の夏の気候を見通せるようです。
運命の天気予報を知る上で、その基礎となるのが暦です。
日本の暦は独自の発展を遂げてきました。
日本はヨーロッパから見ると東洋、東アジアあるいは極東の国として知られ、現代中国から見れば、「東洋」は中国から見て東の洋上にある国、つまり日本のことだけを指しています。
ヨーロッパから見ても、中国から見ても東の果てにある小さな島国は、今や世界をリードする先進の科学技術を有する国の一つとしてあまねく認知されています。
占い、つまり、運命学の世界でも、日本は東西両洋の占術を巧みに受容し、変容させて、オリジナルの占いを創り上げることができる土壌があります。
運命を見る上で、太陽の動きは、その人の対社会的な動きを鑑定する上で基礎となります。
ですから、太陽暦は大切です。
また、月の動きは、その人の深層心理、心の深い世界を知る上で大切ですので、太陰暦はその基礎となります。
暦は、天文学の発展とともに発達してきました。
宇宙技術においても、天文学の研究レベルにおいても、先進諸国と比肩するまでに成長しましたが、いったいこの極東の国にどのようにして天文学が伝わり、進化していったのか。
日本の天文学の始まりは、近世以前、主に中国と朝鮮からの伝来によって発展する。その後、南蛮貿易が行われるようになると、貿易品とともに西洋文化も流入し、天文学も同様に導入されます。
江戸時代になると、八代将軍吉宗によって、日本の天文学の革命が起こります。
日本の天文を占いの技術から科学へ脱皮させたのは、江戸前期の天文暦学者で、日本人初の「貞享暦」を作成した渋川春海(1639~1715)。そして将軍吉宗です。
吉宗は将軍でありながら、科学、天文学にも精通し、鎖国時代にもかかわらず優れた西洋技術を積極的に導入しようと、自らの政策を緩和してしまいます。
江戸幕府の公式記録である『徳川実紀』の中で、吉宗について、こう書かれています。
「天文暦術は人民に時を授けるための重要な学問なので、吉宗公はもっぱらこれに心を用いられた。和漢の天文書だけでなく、西洋の天文学まで究明された」
春海や吉宗たちの努力の成果が、現在の科学大国の礎となったと言っても過言ではないでしょう。
日本の易者は冬至に年筮(ねんぜい)を立て、その年の運勢を易で見極めていきます。
ですから、昨年の冬至に年筮を立てた場合、きわめて貴重な卦徳を見ることができたことになります。
暦のことになると、日本では中国の暦を導入しながら日本独自の暦を生み出していくうえでかなりの苦労がありました。
冲方丁による日本の時代小説「天地明察」では江戸時代前期の囲碁棋士で天文暦学者の渋川春海の生涯が描かれ、映画「天地明察」では渋川春海役に岡田准一がキャスティングされて、一般的にも暦のことが知られるきっかけになりました。
中国の暦と日本の暦が1時間の時差のズレをいかに修正し、正確な暦を作っていったか、非常に分かりやすく紹介されています。
その後、明治維新で明治6年に現在の太陽暦に取って代わられ、日本の太陰太陽暦は、「旧暦」と呼ばれることになりました。
でも、すべてが過去の遺物になったわけではなく、「七十二候」は旧暦の日本の季節感を細かく表しています。旧暦は、季節とのずれを補うために、1年を中国伝来の「立春」「春分」といった二十四節気に分け、「梅花乃芳(うめのはなかんばし)」などと季節の移り変わりで3分割し、七十二候としました。
最近では、この七十二候のそれぞれの候にマッチした音楽も作曲され、季節感の情緒豊かさは音楽の世界にも広がっています。
この七十二候を日本の気候に合うように改めたのも貞享改暦で幕府天文方に就任した渋川春海です。
当時は、季節の要となる冬至や夏至の日付が合わず、不吉の前兆だった日食の予測もたびたび外れていました。映画「天地明察」でも、そのシーンが描かれていますね。
渋川は改暦事業を託され、最初の失敗の主因が中国とは経度の差があることで時差が1時間ほど出ることを突き止め、二度目は日本向けに修正した大和暦を考案し、最終的には陰陽頭の同意を得て、改暦を達成しています。
ネットで鑑定を受けたい方は公式ホームページ「天地人の運勢鑑定」 をご覧下さい。
直接鑑定を受けたい方は宝琉館へご連絡下さい。